寛永寺 <寺院・歴史・東京都>
東京都台東区上野桜木、上野公園北端にある、天台宗の関東総本山。
東叡山円頓院と号する。
1625年、天海僧正が江戸城鎮護を祈願し、幕府から上野台地の一部を拝領して創立。
天海は、徳川家康、秀忠、家光に深く帰依され、武蔵国川越の喜多院に住していたが、上野に本坊が落成するとともに移り、勅許を得て東叡山寛永寺円頓院と称した。
東叡山は比叡山に倣い、関東の叡山という意味から、寛永寺はその創建年号により、円頓院は天台宗で行う大乗戒の円頓戒にちなんで号された。
本坊の落成に続き、徳川家一門や諸大名がそれぞれ堂塔神祠を建立寄進、創建当時は堂塔32、子院36坊を擁した。
1698年徳川綱吉は江戸第一の大きさを誇る根本中堂を建立、東山天皇から「瑠璃殿」の勅額を賜った。
寺領もしだいに増し、忍ヶ岡一帯に36万坪の広大な寺域を領し、幕府の保護のもとに隆盛を極めた。
天海没後は第2世公海大僧正、第3世守澄法親王が継いだ。
かねてから幕府は法親王の東下住持を要請、それに応じて1647年後水尾天皇の第3皇子尊敬法親王が入山。
法親王は54年には日光山輪王寺の門主となり、翌年さらに天台座主をも兼ね、東叡、日光、比叡の三山を管掌して輪王寺宮の号を賜り、管領の宮ともよばれた。
その後、15世公現法親王までは皇族が継ぎ、以後は天台宗の高僧が法統を継承して輪王寺門跡とよばれた。
輪王寺門跡は寺領1万1790石を領し、現在の東京国立博物館の地が輪王寺宮歴代法親王の本坊旧跡である。
東叡山円頓院と号する。
1625年、天海僧正が江戸城鎮護を祈願し、幕府から上野台地の一部を拝領して創立。
天海は、徳川家康、秀忠、家光に深く帰依され、武蔵国川越の喜多院に住していたが、上野に本坊が落成するとともに移り、勅許を得て東叡山寛永寺円頓院と称した。
東叡山は比叡山に倣い、関東の叡山という意味から、寛永寺はその創建年号により、円頓院は天台宗で行う大乗戒の円頓戒にちなんで号された。
本坊の落成に続き、徳川家一門や諸大名がそれぞれ堂塔神祠を建立寄進、創建当時は堂塔32、子院36坊を擁した。
1698年徳川綱吉は江戸第一の大きさを誇る根本中堂を建立、東山天皇から「瑠璃殿」の勅額を賜った。
寺領もしだいに増し、忍ヶ岡一帯に36万坪の広大な寺域を領し、幕府の保護のもとに隆盛を極めた。
天海没後は第2世公海大僧正、第3世守澄法親王が継いだ。
かねてから幕府は法親王の東下住持を要請、それに応じて1647年後水尾天皇の第3皇子尊敬法親王が入山。
法親王は54年には日光山輪王寺の門主となり、翌年さらに天台座主をも兼ね、東叡、日光、比叡の三山を管掌して輪王寺宮の号を賜り、管領の宮ともよばれた。
その後、15世公現法親王までは皇族が継ぎ、以後は天台宗の高僧が法統を継承して輪王寺門跡とよばれた。
輪王寺門跡は寺領1万1790石を領し、現在の東京国立博物館の地が輪王寺宮歴代法親王の本坊旧跡である。
update:2010年05月07日
